もはやただの日記。ときたまmixiとかで書けないようなこと書くときもあるけど。
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違いと言えばwが入ってるかとかそんなもん。
さて、もうすぐ23日。 4月の23日と言えばサン・ジョルディの日だね。 サン・ジョルディの日は男性が女性に薔薇を、女性が男性に本を贈る日とされている。 ・・・どう考えても本屋と花屋の陰謀ですね、わかります。だって日本とスペイン以外にそんな習慣ないし。 でも日本にもあまり定着していないというこの状況。 まあそれはそうとこれはもともとカタルーニャ地方の本屋がセルバンテス、シェイクスピアの命日と誕生日が同日だったことに由来する。これで本屋のおっちゃんが「こりゃめでたい!」とかいって記念日にしちゃったわけだw でも今みたいに本と薔薇は分かれてなくて一緒に贈るものだったらしい。 でもってさ、「サン」てのが聖人で「ジョルディ」っていうのがカタルーニャ語でゲオルギウスって意味らしいんだわ。これはもともと4月23日が守護聖人である聖ゲオルギウスの祝日だったかららしい。 日本とスペインを除いたほかの国は聖ゲオルギウスの祝日として祝ってるけど、日本とスペインはサン・ジョルディの日なんだぜ! しかしゲオルギウスというとどうにもテイルズのボスキャラとか11eyesのアワリティアなんかが浮かぶなww それだけ俺がヲタということか・・・ まあいまさら気にしないがwww しかし・・・サン・ジョルディの日といっても俺には薔薇の花を贈るような相手はいない悲しさorz ではでは PR
テイルズクリア~w
他に書くことねぇ~ww なので唐突に無駄知識講座ww 少し神道についてレクチャーしますかいね。 「神道」はその名の通り「神の道」であり、普段の生活の中でも神を感じ、神に感謝して祀れば、それは一つの神道であるということ。その意味では人の数だけ神道があってもいい訳だが、まず歴史から紹介。 歴史的に見ると、最初に氏神(うじがみ)や産土神(うぶすながみ)を祀る原始的な神道や、北方系のシャーマニズムのような神道があったと言われている。それが大和政権が日本全体に支配権を確立させて行く中で、神々の同一視や婚姻などが行なわれて行き、ひとつの天皇神道にまとめられて行った経緯がある。 ここに仏教の思想が入って来ると、神仏習合の考えが生まれ、仏を中心に据えた両部神道・山王神道などが生まれてくる。これに対して伝統的神道側も伊勢神道・唯一神道などによって理論武装して仏教に対抗し、巻き返しを図る。しかし江戸時代に入る頃には今度は儒学の影響で儒教色の濃い神道が生まれてしまう。 そんな中で現在色々な要素が入ってしまった神道の元の姿を取り戻そうという動き・復古神道の考え方も江戸時代も後半頃から出てきて、これが幕末・明治になると数々の教派神道を産み出すことになる。一方では神道を政治的に利用しようとする勢力が国家神道を作り、それによる思想統制を図るが太平洋戦争で挫折。そして戦後は宗教の自由化に伴い雨後の筍のように沢山の新宗教が生まれ、分離統合しながら新世紀への展望を模索しているそうで。 そんな中で幾つかの代表的な神道を挙げてくと・・・
古代の神道の最後の生き残りで、その命脈は587年の蘇我一族による物部一族制圧によって絶たれた。内容的には謎の部分が多いが、思想は旧事本紀から伺い知られる。十種神宝(とくさのかんだから)や、「ふるべ、ゆらゆらとふるべ」の呪文などが知られる。基本的に魂を奮い起こすことにより精神的エネルギーを高め活力を生み出す神道ではなかったと推定される。
物部神道が滅び、仏教が国家祭祀の中心になった時代にやがて政治的に台頭した中臣家(藤原家)が巻き返して提示した神道で、その後の日本の神道の中心になるもの。その根本は大祓詞(おおはらえのことば)に見られるような「けがれとはらい」の思想である。
天台宗の総本山・比叡山で平安時代に生まれた神道。初期の山王神道と天海以降の山王一実神道に分類できる。山王とは霊山を守護する神霊のことで、山王権現は比叡山の地主神で日吉神社祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)を言う。三諦即一思想があり、「山」の字の縦の3本は空仮中を表わし、横の一画は即一と解釈して一心三観・一念三千の象徴であるとする。「王」の字も同じ。ここに空とは「仏法は一切空」、仮とは「仏法は仮にある」、中とは「仏法は空でも仮でもなく不二である」である。天海は更に山王権現は大日如来であり、また天照大神であるとした。
真言宗から生まれた神道。鎌倉時代頃に成立。伊勢神宮の内宮を胎蔵界大日如来-日天子、外宮を金剛界大日如来-月天子に配する(二宮一光)ほか、いざなぎ・いざなみ、諏訪神社の上社・下社、なども両部になぞらえた。又古事記の天神七代は過去七仏に等しく、北斗七星にも展開されるなどとし、多くの神々を仏教により解釈していったが明治の神仏分離により壊滅的な打撃を受ける。
伊勢神宮の外宮の神官度会(わたらい)氏が創始。外宮の神である豊受大神は実は天御中主神(あめのみなかぬし)=国常立神であるとし、天御中主神は海之水中主であって、海に在る神であるとする。そして海は造化の霊体であり、半日間地上を照らした太陽や月も海に沈んで休息をとるのだとします。そして、人間は神から生まれたのであるから人間の本性は神であって、その神性を損なうようなことはしてはならないとして、正直・至誠・祈祷の実践を求める。教典として「天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記」「伊勢二所皇太神御鎮座伝記」「豊受皇太神御鎮座本紀」「造伊勢二所太神宮宝基本紀」「倭姫命世記」の神道五部書が製作された。鎌倉時代末期に起こった。
吉田兼倶が唱える。正式には元本宗源神道。唯一神道・卜部神道ともいう。神本仏迹・神主仏従。神とは観念的なものではなく、天地に先立って天地を定め、陰陽を越えて陰陽をなす。始めも無ければ終わりもなく、天にあっては神、万物にあっては霊、人倫にあっては心である。神は天地の根源であり神はすなわち心であるとする。儒教・仏教・道教・陰陽道の要素が合流し、伊勢神道の思想も入っている。大元宮の八卦に基づく八角形の神殿は特徴的。
室町時代に法華宗の信徒の間に起きたもの。神の中に法性神・有覚神・邪横神の3つがある。法華経守護三十番神といって各地の三十柱の神が一日交替で人々を守護するという考えを出した。
神儒一致論にもとづき儒家が江戸時代にとなえたもの。林羅山の神儒一致論(理当心地神道)、雨森芳州の理論(神主儒従。神道は仁・明・武で、これが三種の神器)、貝原益軒の理論(儒主神従)など。
吉川惟足が唱える。吉田神道と儒教と武士道の調和をはかった。神道を祭祀を中心とした行法神道と理論的な理学神道に分類し、理学神道こそが真の神道であるとした。保科正之などに共鳴を受けて一大勢力となり、一族は幕府寺社奉行の神道方に任命される。
山崎闇斎が創設。垂加は闇斎が吉川惟足から贈られた号である。神道は天照大神の道と猿田彦神の教えで宇宙の根源は国常立神であるとして、天道即人道の理を説く。神の働きを造化・気化・身化・心化に分類、土金の伝(つつしみの徳)、竜雷の伝(怠惰のいましめ)、天人唯一の伝(天と人は一致)などを主張した。この門下から土御門神道の安倍泰福・橘家神道の玉木正英などが出て、復古神道・国学・水戸学などの源流となった。
賀茂真淵の万葉集による古語の研究、本居宣長の古事記の研究、などに刺激を受けた平田篤胤が提唱したもの。仏教や儒学などの要素を排除したいにしえの神の道を復興することを目的とする。このいにしえの道の理解には大和心を固めるべきで、神の功徳を認識し、日本が世界の中心であることを知らねばならないとした。結果、中国の医学は少彦名神が作ったものが輸出されたものであり、易の始祖伏義は大国主神であり、帝釈天も皇産霊神であるなどとして、日本は神国であるとした。
明治維新後の政府によって推進された祭政一致的神道。復古神道や水戸学などの思想をベースに、神仏分離令によって神社から仏教色を排し、天皇家の先祖である天照大神を祀る伊勢神宮を全国の神社の最高位に位置付け、一村一社制により既存の神社を強引に統廃合するとともに、祭神も天皇家に関わりのある神に書き変えた。神官は公務員とし、祭祀のみを執り行い布教活動をすることは禁止、一方神道は宗教ではなく民俗伝統の根幹であるとして、政府が直接管理するものとした。
タイトルの通りです。ネタがありません。
タユタマはまだ終わってないからレビューも出来ないし、友人から借りたFAはまだ未プレイだし、記事がねぇや・・・ なわけで無駄知識講座行きますかw 本日は・・・心霊主義についてでも語りますかね。 そも心霊主義とは何か?を説明すると現代に蘇った古代呪術、そんなものとして捉えるのが一番適当かと。人類が何千年もかけて作り上げてきた魔法理論。それらを捨てたところに価値があり、理屈だけを並べた実現不可能な魔法理論に飽いた人たちが不思議な現象が「在る」ということを前提に作られた考え、これが心霊主義です。 心霊主義の始まりは19世紀半ば、アメリカのニューヨーク州ハイズビル村というところだそうです。 そこに住むマーガレットとケイトの二人の姉妹のエピソードが心霊主義の元になったとされてますね。 この姉妹には霊と交信できる能力があったとかでそれを使って金儲けを考えた人がいて二人をニューヨークに連れてきて客の前で見せてショーに仕立てたそうです。これが降霊会の始まりだとか・・・ でもこの降霊会のことが人々に知られるようになると、あちこちで自分も同じことが出来るという人が現われだして、このような能力の存在を知った人々がその説明として作り出したのが心霊主義なわけです。 でもって心霊主義も一種の魔法なので理論体系は当然ながら存在します。 人間は、大きく分けて魂、肉体、霊体の三つの部分からなる。 魂は、人を人たらしめる非物質的元素で思考したり感情を抱いたりすることが出来る。そして魂は不死で何度でも転生する。 肉体は粗雑な物質であり魂を入れる入れ物にすぎない。 そして、この両方を繋ぐのが一部物質的で一部非物質的存在である霊体である。 生きている人間は、これら三つがぴったりと重なって存在している。しかし、死んでしまうと肉体は失われてしまう。そこで魂が霊体に包まれて存在しているものを霊、と呼称する。 これが心霊主義の根幹の基本にあたる理論です。 正直なところ心霊主義に関してはそこまで詳しくないので語れるのは」この辺までですね。 余談ですが心霊主義から分離したものに神智学なんてのもあったり・・・こっちに関してはさっぱり知りませんがw 久々になんかしっかりした無駄知識講座をやったような気がする。まあ書いてるの結構楽しかったからいいけどw ま、今日はこんなもんですかね。 ではでは~
・・・小説の方は相変わらず書き直し全然進んでないです。
だってテスト前だし。古典は今回がんばらないとまずいんですよね・・・ そんなわけで今日は柄にもなく勉強してましたw っても教科書ぱらぱら眺めてただけですが。 まあでも最近更新がかなりおざなりだったのでここらでまともに更新しとかないとだらけてしまいそうな気がしてきたわけですよ。 なので本日は久々に無駄知識講座でもww でもって本日のお題は・・・有名な刀について、なんてどうでしょう? 刀ってよく時代小説なんかには出てきますよね?そこで銘がわからないと何となく虚しい気持ちになったことがあってそのときに資料を色々と漁ったことがあるんですよ。 んなわけで刀に関してはそれなりに詳しいと自負しておりますww 今日は誰でも知っているような有名な刀について説明していこうかと思うのでまあ興味のある方は読んでもらえるとありがたいです。 じゃ最初は天下五剣の内の一振、童子切安綱について語らせてもらいます。 童子切安綱は源頼光公が酒呑童子の首を切った刀ということで知られてます。 なのでファンタジー小説などに出てくる場合は退魔の太刀として物語に登場することが間々あります。 ではここでまず、太刀と刀というのは同じものではないということを説明しておきます。 一般の人はよく混同しがちですが、太刀と刀には明確な境界があります。 一般的に刀や日本刀といえば刀、つまり打刀を指します。 打刀、というのは鎌倉時代の武士が太刀と共に携帯していた”腰刀”をベースに発展した武器でこの時点で既に太刀とは異なります。この腰刀は「刺刀」という短刀で、太刀を使えない取っ組み合いの距離で相手を”刺す”ために使われました。これの刀身を長くして武器として発展していったのが打刀です。 刀身は太刀より10cm~30cmほど短い70cmほどですが、紐で腰にぶら下げていた太刀とは異なり、腰に差し込む打刀は一挙動で抜くことが出来、そのまま相手に切りかかることが可能です。 刀身の反りも、反りの最大部分が中央より先にあるため抜刀の途中で刀身が鞘に引っかかったりしないようにと工夫もされています。 でもって太刀は刀身が打刀より長く、95cm~1,1mほどあります。反り方も異なっていて太刀の場合は反りの最大部分が丁度真ん中だったり、もしくは腰反りといって鍔元近くが反っているものもありました。発展していくとその長さはどんどん長くなりやがて野太刀、大太刀といったものになっていきます。 佐々木小次郎の物干し竿などが有名かと。 まあわき道に逸れた説明はこれくらいにして、童子切安綱について語らせてもらいます。 ・・・っても語ることあるかこれ?酒呑童子斬った逸話ぐらいしか書くことないけど・・・これ書いたら朝になる気がする・・・ そんなわけで今日は太刀と打刀についての説明だけで勘弁してください。もう眠いんです・・・ ではでは
タイトルにはエコーかかってますwセピアさんですww
まあそんな冗談は置いといて、痛いのは本当ですよ。 今日足吊りましたんでwしかも両足・・・もう涙目ですよ! さて、今日も書く事がなくなったので・・・無駄知識講座といきますかw 今日は気力十分なんでぐだぐだと知識を披露していこうかと。 では本日のお題は・・・魔術などオカルトに関する用語を説明していこうかと思います。 魔術なんかの説明を読んだりしていると意味のわからない単語とかってあるじゃないですか? 本日はそういったものを幾つか説明していこうと思います。 ・アカシック・レコード アカシックレコードというのは人智学者のルドルフ・シュタイナーが提唱した概念のことです。これはサンスクリット語のアカシャ、という言葉を語源としています。 具体的にどんなものかというと、全宇宙がこれまで経験し、そしてこれから経験する行為、思考、出来事の記録全てが保存されているという高次意識界に存在する巨大な霊的データバンクのようなものを指します。これを覗くことが出来れば過去、現在はおろか、未来のことまでわかってしまうそうです。 ・エーテル界 体、魂、霊という人間の三態の内、「体」即ち肉体を支えているエーテルで構成されている異界のことです。万物にはそれを存在せしめているエネルギーがある、という考えがベースとなっています。故にこの世に存在するあらゆるものには、実体と同時に「エーテル体(霊妙な肉体)」がかさなっています。実体を持たないエーテル体はあってもエーテル体を持たない実体は存在しないとされます。このエネルギーで構成された世界をエーテル界と呼びます。 ・ルーン ルーンはキリスト教伝来以前の、古代ゲルマン民族の多神教社会における呪術体系です。 木や石、道具などに鋭利な刃物で特定の意味をあらわすルーン文字を刻み、その名を唱えることで神の力を得ようとするものです。 ルーン文字は当初はアルファベットに似た24文字のセットからなり、これは最初の六文字の発音から「フサルク」と呼ばれています。 ルーン文字は日常の記録や、英雄や神の伝説を記述するのにも使われていましたが何よりも呪術や魔術に使う記号としての意味合いが強いです。組み合わせて文章を構成するのと同時に、一つ一つの文字もそれぞれ意味を持っています。 さて今日はこんなもんですかね。そんなに多くはないですが今回書いたものはオカルトな事を調べようと思ったら結構出てくる言葉だと思います。他にもまだまだありますがそれはまたの機会に。 ではコメント返信 >蜻蛉 ハッピーエンドはものによる。テレビ版Kanonはクソだった。ああいう理由も根拠も無いハッピーエンドがダメ。 →それは俺も同意。ハッピーエンドってのは幸せになるからこそ万人が納得できなきゃ駄目だと思う。 たとえハッピーエンドにするにしても(俺は100%ないと思うが)しっかりと筋道は立てるべきだと思う。 だが、バッドエンドは基本嫌われるから、相当なものじゃないと許容されないのも現実。ハッピーエンド至上主義では無いけれど、救いようが多少は無いとどうしようもない結果にならざるを得ない可能性も否定できなかったり。 →バットエンドといってもそこまで救いのないバットにするつもりはないから大丈夫だとは思うが・・・ なんつーか、終わったあとにこうすればもっといい結果になったんじゃないか?みたいな最善の選択を取らない終わり方っていうのが俺の理想。だからといって最悪の選択肢をとるわけでもなく、完璧には終わらない物語ってのを目指して書いてるつもり。 成績を気にしないのは仕様ですね。さすがだ! →気にしたら負けだと思ってるからww >ガルドさま はしょられた(T_T) →端折ってしまって申し訳ないです・・・ 今回はしっかり書いたので満足していただけるとよいのですが・・・ 今回はコメントの返信方法を少し変えてみましたw こっちのが何となくいい気がするんでww まあコメントも返信したことですし今日のところはこれくらいで ではでは |
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最近はFPSのゲームがお気に入りです。 そしてニートになってしまいそうでビクビクしてる今日この頃。
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